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| 市民の映画館とは? | |||||||||||
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昨年2003年は、日本に映画館ができて100年、シネコンが登場して10年でした。そして、八戸市中心街に映画館が復活するという歴史的な年になりました。 |
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八戸市の調査でも、特に高校生から映画館が欲しいという結果が報告されました。また、1985年以来映画館を借りて85本以上の上映会を開催していた、映画サークル「シネマ・ウッド」も事実上の活動停止となり、「何とかならないの?」「何とかしたいね」という声が会員の間からも出てきました。年が明けて2002年春、「何とかしたいね」が「やってみようか」ということになり、6月『山の郵便配達』という中国映画の上映会を市の公民館を借りて開催しました。 | ||
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これをきっかけにもっと幅広く運動してゆこうと「街に市民の映画館をつくる会」を発会し、会員は170人を数えました。当初は、「市民病院跡地に建設予定の芸術パークに映画館を併設して欲しい」という署名活動で、最終的に8,092名の署名を集めました。 | ||
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また『たそがれ清兵衛』の映画も公民館で上映し、3回合計で1,345名の入場者がありました。客席が足りなくて入れないお客様がいたほどでした。 | ||
こうした活動の中、2002年の暮れ、市中心部のビルからキーテナントとして映画館を入れたい、との打診がありました。このビルは20年以上に渡って、総合スーパーとして中心商店街の発展に寄与してきたわけですが、2003年2月の閉店が決まっていました。 既存のビルのワンフロアのため理想的な劇場とはいきませんが、一日でも早く映画館を復活させたいとの思いが勝りました。運動は大きく動き出しました。 |
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2003年3月、「つくる会」総会を開き、ビル内に映画館をつくることを決定、法人組織にして市民から1口50万円、100口の出資金を募集することも決まりました。 どれだけ応募があるか全く不安のスタートでしたが、毎日電話が10件、20件と鳴り響き、問い合わせや申し込みがひっきりなしにありました。2ヶ月後の5月9日〆切り、結果は目標をオーバー、108人から114口、5700万円の出資が集まりました。そのうち80%以上が個人、個人のうち半数が女性でした。50万円と言えば大きな金額です。その一口ずつの積み重ねで、どんなに市民の方が映画館を待ち望んでいたかを改めて知らされました。 株式会社を作る時に、出資金を引受銀行に持ち込んだわけですが、現金5,700万円をザックに詰めて背負ってゆきました。その重たかったこと、市民の気持ちがいっぱい詰まっていました。 5月29日の設立総会、株主の約半数が女性という華やかな中で、株式会社八戸フォーラムが発足、「つくる会」は発展的に解消しました。 出資金を募集するにあたって説明してきたことは、「配当はありません。良い映画を観られることが配当だと思って下さい。儲かったら、映画祭の企画や、映画製作の方に使わせて下さい」ということでした。 |
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会社設立後、早速ビルの内装工事に着手、他方で地元から二十数名の社員を雇用、オープンに備えました。そして9月12日、待ち望んだオープンを迎えました。 9つのスクリーン、777席シネコンスタイルの「市民の映画館」です。 スーパーさんの閉店後、わずか半年でオープンできたことに市民の皆様の熱い思いを感じると同時に、中心市街地の空洞化を最小限に防げたのではないかと自負もしております。また、不特定多数の市民から出資を募って会社を作るという前代未聞の発想も成功したと思います。 |
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| 映画館には年間25〜30万人のお客様を予定しています。そして1年に200本の映画を上映、そのうち100本をロードショー系、100本は単館系、アート系作品を上映したいと思っています。既にオープン以来4ヵ月半で100本上映。そのうち半分は単館系、アート系作品です。また運営にあたっても、この2月から市民参加の企画会議を始めました。自分が観たい映画をリクエストしてもらって、できるだけ実現してゆこうという試みです。このほか映画祭などの案も出ており、映画館とお客様の双方向の運営を実施してゆきたいと思っています。 ですから私達は、〈シネコン〉と呼ぶのではなく「市民の映画館・八戸フォーラム」と呼んでいます。 |
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